アヤワスカ儀式1日目


アヤワスカの儀式は、基本的に夜には行われる。

けど、今回はジャングルで泊まらせてもらった宿泊施設で行ったので、「周りに迷惑がかからないよう、22時までに終わらせるように」とのことで、15時過ぎからと早めにスタートすることになった。


まずは、手のひらに香水を2種類垂らされ、それで全身を撫でてネガティブなものを払い除ける。
そして、その手のひらの香りを嗅ぎながら、深呼吸をしてリラックスする。


コップにアヤワスカとシャーマンがタバコの煙を入れて手で覆って渡される。
「今の気持ちと今日得たいものを意図し、飲み干すように」と言われた。


マズイと聞いていたので、一気に飲み干す。
マズイというより、タバコの煙がキツすぎた。

喫煙歴があった私でも、「もう一生タバコを吸いたいと思うことはないだろう。」と思ったぐらい、気分の悪くなる匂いだったし、口の中にずっと残って既に吐きそうになった。


私は、自愛をテーマにコーチングなど色々学んできたので、
今回も「本当の自愛と無条件の愛」について教えて欲しいと意図した。
そして、「それに伴って邪魔になっている不要な思い込みなどがあれば手放したい」と頼んだ。


最初の45分〜1時間ほどは何も起こらなかったと色んな人に聞いていたのですが、結構早めに30分もするかしないかで、カラフルなビジョンが浮かび上がってきました。

ジェットコースターみたいな感じで、複雑な模様があるレールみたいなものがグルグル動き出し、全てが繋がっているという印象が浮かび上がってきました。

そのジェットコースターみたいなのが、四方八方へ広がり、意識をした方へ引っ張られ、グィーーーンと一気に移動するので、考えることが変わるたびに、何か気づきが起こるたびに、方向が変わって酔って吐きそうになった。


全てはシンプル。
深呼吸・姿勢・リラックス・手放し・サレンダー

アヤワスカに、この5つだけだと何度も言われました。


私は、ジャングルに行って何が怖いって、虫が怖かったのすが、
アヤワスカに「虫は私のことを襲うためにいるのではない。彼らは彼らにとって必要なことをしているだけだ。」と教えられました。

そして、儀式の途中でトイレに行くと、やはりびっくりするぐらいデカいゴキブリをはじめ、たくさんの虫がうじゃうじゃいるんです。

夜だから懐中電灯で照らすもんで、余計に明かりに寄ってくる。
でも、なぜか前より怖くない。

「ごめんね。私はあなたたちを傷つけるつもりはないの。ただ、ちょっとトイレ使わせてね。」みたいな感じで、共存してる感覚に。

トイレに座っても別に私の体に寄ってくるわけでもなく、ただその辺を這い回っているだけで、「なぁ〜んだ。ホント、怖くないじゃん。」って、なんと、虫嫌いを克服できました。

ご飯の時もハエをはじめ色んな虫がたかってくるんですが、次の日からは、「そうだよね〜、美味しいもんね、これ。」みたいな感じで、一緒にシェアしてる感覚になって、手で払いのけることすらしなくなった。笑


そして、トイレから部屋に戻ると、ファシリテーターが私のガーディアンエンジェル?って言うのかな?になっていた。

顔にピンクのネオンの線がいくつも入っていて、こっちを見て微笑んでる懐かしい顔があった。

「なんだ。ずっと私のこと見守ってくれてたんだ。」と、安心感と愛に包まれ、とても幸せで懐かしく、嬉しく、号泣した。

気づいていなかっただけで、私の人生でどんな時も実は彼?天使?神?がずっと自分を見守ってくれていて、辛い時も苦しい時も本当は絶対に安全だったんだと、急に心の底から気づきが起こった。愛しかない世界だった。

「私のためにずっとここにいてくれてたんだね。」と言うと、ファシリテーターが「そうだよ」と答えた。笑

確かに、泣いたり叫んだり色々儀式では起こって、その度にファシリテーターが手を握ってくれ、背中をさすってくれ、「大丈夫だよ。全て上手くいってるよ。必要なことが起こっているし、アヤワスカを信じてね。上手に対応できてるよ。」と、常に優しく励ましてくれてはいて、すごい安心感はあったんだけど。

そうじゃなくって、あなた(ファシリテーター)なんだけど、あなたじゃなくってあなたの中の人と言うか、今回はあなたに扮してるけど、実は色んな人に扮して私を見守ってくれている存在がいたと気づけた。

何かに失敗しても、上手くいかないことがあっても、絶対にその存在は私のことを責めたりしない。
失敗するのも含めて、手伝ったりせず、私を信じて見守ってくれている。

できない自分、恥ずかしい自分、カッコ悪い自分を責めているのは自分だけで、どんな時も学びの過程にある、色んなことを経験しているのをただ愛をもって見守ってくれている。


そして、アヤワスカは「私がペルーに来たのは、このファシリテーターと出会うためなんだよ。」と伝えてきた。

私は、会ったばっかりの人に会うためにペルーに来たと言われても、しっくりこなくって、「どういう意味?」と尋ねた。

アヤワスカは、理由は説明してくれなかった。
ただ、「時が来ればわかります。」と言われただけだった。

その時は、「ただの幻覚かな?」と流したんだけど、彼の存在が後になってすごく大きなものになっているのに気づいた。

こんなに愛の人を見たことがないと言うほど、思いやりに満ちていて、常に安心できる場を作ってくれ、見守ってくれた。

彼がいないと、ペルーの旅がこんなに楽しくならなかっただろうなと思うほど、色々なことを共にし、たくさんのことを教えてくれた。

まだ、どういう意味で「彼に出会うためにペルーに来た」と言われたのかはわからないけど、この人たちと離れた後、ペルーで一人旅をした時に、怖い経験や嫌な体験をいくつかしたんだけど、その度に彼からナイスなタイミングでメッセージが届き、彼のサポートの大きさを身をもって思い知らされた。

私もセラピスト・コーチとして、人に愛と安心感を与えられる人になりたいと、ペルーに行く前に意図していたので、まさにこんな人になれたらいいなと思える人に出会えた。


「何時間経ったんだろう。プライベートセッションだから、私以外いないし、ちゃんと終了時間には終わらないと迷惑をかけてしまう。」という想いがふと頭によぎった。

時計を探したかったけど見つからない。

すると、アヤワスカに、
「コントロールを手放して!彼らがちゃんと管理してくれるから安心して委ねて。ちゃんとしなくてもいいんだよ。」と諭された。

そうだ、「ちゃんとしなきゃ」「迷惑をかけてはいけない」と言った思い込みからも抜け出したいとずっと思っていたんだった。

よし、今回は彼らを信じて委ねようと決め、時間を気にするのをやめ、儀式を楽しんだ。


ちなみに、次の日は、途中で時間を聞いてみた。
するとシャーマンに「時間なんて忘れて、委ねて、楽しんで!」とズバリなことを言われてしまった。笑


それから、ファシリテーターに扮したエンジェルが私に「キーは『426』だよ。忘れないで。」と何度も言ってきた。

426は、私の誕生日。

儀式の後にファシリテーターに「何か数字で特徴的に浮かんできたのはあった?」と聞かれたので、この話をしたら、「じゃぁ牡牛座についてとか少し研究してみると面白いかもね。」と言われたので、また調べてみようと思う。


今度は、急に父親についてのシーンに変わった。

うちは父と母との関係が悪く、離婚はしていないが、私が小さい頃にお互いが喋らなくなって、子供は母親が喋るから、私は、いつの間にか父親とは全く喋らなくなってしまっていた。

小さい頃は、母親がまだ下の子を妊娠していたりしていた時に、よく私を休みの日に連れ出してくれていた父。無視していたわけではないけど、喋らなすぎてどう接していいのかわからなくなっていて、いつも罪悪感があった。

大人になって実家に帰省している時も、朝起きてキッチンで一人でテレビを見ていたら、父親が起きてきて、キッチンのドアを開けて、私を見るや否や「すみません」と言って、ドアを閉められたことがある。

呆気に取られ、どうしていいのかわからず、私もそのままにしてしまったが、謝られるほど気を使われてしまっているのがとても悲しかった。

父のことは嫌いじゃないし、仲良くできたらとは思うけど、どう接していいかわからない。

でも一応、誕生日とか父の日とかプレゼントは送るようにしていた。でも、LINEで「いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」といった、とてつもなく他人行儀なメッセージが送られてきていた。

そんな父親に、「もっとステキな人生になれたかもしれないのに、何もできなくてごめんなさい。」という思いが溢れて、号泣した。

そして、それでも見捨てずに愛し続けてくれていたことにも気づけて、さらに号泣した。

でも、それすらも私にとって、(きっと父にとっても)完璧で必要なことが起こっていただけだとも気づけた。

後で、シャーマンに、「私が先に愛を知ったんだから、あなたが家族に愛を与えてあげることで、みんなが愛を知れることになるから、難しいかもしれないけど先に与え始めるんだよ。愛は全てを超越するから、どんなに上手くいかなそうに思える関係でも、絶対に愛が勝つからね。」と教わった。


そして、母親。

母親は、心配性なだけでとても私を愛してくれていると大人になってからは、わかっている。

でも、子供の頃は言うことを聞かないと山や田んぼに捨てられたり、妹が亡くなったり、弟が障害を持って生まれてきたのもあって、祖父母の家に預けられていたし、弟の世話ばかりで構ってもらえないと思ってしまったり、子供の頃から何をしようとしても反対されて、私は嫌われているのだと思っていた。

母親は、「男は役に立たない。金がない。」が口癖で、正社員の他に毎日2つ朝晩バイトを掛け持ちして働いていた。

それを見て育った私も、いつの間にか、男は頼りないから結婚したら終わりだと思い込んでいた。

母親のように、家事と子育てに終われながら、寝る間も惜しんで仕事をしないといけなくなるのはごめんだと。

でも、気づいたら私も結婚もしてないのに、1つの仕事だけでは安心できず、夜中にバイトに行って寝るまを削って働くようになっていた。

10年ほどそんな生活をしていて、ふと「あれ?私いつの間にか母親と同じことしてんじゃん!」って気づいて、これはマズイとバイトをやめた経験がある。

そんな母親側の立場から、なぜ反対していたのかも見させてもらえた。

子供心では、「私のことを信じてくれていないから反対するんだ」と感じていたけど、母親は私のことを信じている・信じていないなんて発想すらしていなかった。

ただ、私が傷つかないように、失敗しないように、辛い思いをしなくていいように、愛ゆえに心配して母なりのやり方でコントロールして守ろうとしてくれていただけだった。

それを理解できず、私は子供心に「母親が私のことを傷つけようとしていつも反対ばかりしてくる」とさえ感じていた。


いい歳になって、最近、歯列矯正を始めたんですけど、私が八重歯がコンプレックスだったのを知っていた母親は、「そんなの親が子供の頃に直させるものだから」とお金を出してくれた。

子供の頃にも矯正代を出してくれると言われたけど、歯医者で100万円以上するというのが聞こえてきて、いつも母親が「お金がない」って言ってたから、子供ながらにすごい大金がかかると知って「矯正したくない」って帰った記憶がある。笑

いつもお金がないと言っていたのに、大人になって自分で矯正できるようになっているのに、矯正代まで躊躇いなく出してくれるほど愛してくれていた。いや、矯正代出すほどどころか、そんなのとは比べ物にならないほど、それ以上に愛してくれていた。

いつも、何かあるとすぐ心配して連絡してくれたり、飛んできてくれたりする母。
愛しかなかったと気づけて、また感謝で号泣した。


そして、弟。

私からすると、コンプレックスが強く、恥をかくことや、カッコ悪いことがとてつもなく苦手そうに見える弟。

そんな弟は、私そのものだった。

自分が恥を恐れず、乗り越えていくところを見せていくことで、彼も恐れを克服できるようになると学んだ。


家族には普通に感謝はしてたけど、どこか当たり前に思っていて、もっと仲の良い家族に憧れたりしたこともあったけど、こんなにステキな家族がいて、なんて幸せだったんだと気づけた。

これからは、もっともっといい関係を築いて、この家族で良かったとみんなに思ってもらえるように愛で満たしていきたいと思った。


仕事に関しては、私はマッサージセラピストなので、体から入ったけど、エネルギーで心のデトックスをしていくようにと言われた。

なぜなら、エネルギーワークは全員が必要なほど、みんな問題を抱えながら必死で生きているから。とのこと。

そういえば、マッサージを学ぼうと思ってアメリカに行ったのではなく、心のケアをしたくてヒーリング学校に行ったのが、マッサージとの出会いだった。

もしかしたら、この時、私はマッサージではなくヒーリングに導かれていたのかもしれない。

でも、当時ほぼ英語が喋れなかった私は、カウンセリング系ではなく選択授業で会話がそんなに必要ではないマッサージの授業をどんどん選択して、いつの間にか病気や不調が全て治ってしまって、マッサージの魅力に取り憑かれたんだった。

コーチングを始めたのは、その流れに順調に進んでいるとのこと。

20年くらい前にもアメリカでエネルギーワークやヒーリングを学んだのに、帰国後は、スピリチュアルな人とか変な人と思われたら嫌だなと思って仕事にするのをやめたのですが、それは抵抗だったと言われた。

私は私の信じた道を行けばいい。
絶対に無理だと言ったり、反対してくる人が現れたら、心配してくれているのは愛ゆえなので、反発して傷つけることのないように心配してくれたことに感謝し、応援やサポートをお願いするようにすればいい。

エネルギーが先で体は後だから、体だけケアしても元からケアしないといけないことも多いと、再度教わった。

コーチングだけでなく、エネルギーワークの遠隔セッションもやってみるといいと言われた。


ほとんどのお客様はとても良い方ばかりで、私は恵まれているなと思うのですが、中には、イライラしている人、否定的な人、怒っている人、批判してくる人もいらっしゃって、私はヘタレなので、すぐダメージを受けてウジウジ悩んでしまうタイプのなのですが、この件に関しても、「怒っている人や批判的な人は、混乱しているだけで、愛を求めている」と教えられた。

今までも、本や誰から同じことを言われたこともあって知っていはいたけど、今回は頭ではなく腹でそれが体感できたという感じがあった。

そして、私は、「セラピストとしてどうすればお客様をもっと癒せるようになれるのか?」と尋ねた。
すると、抽象的な答えが返ってきた。

私に人を癒す力はないし、私が人を変えたり、コントロールすることはできない。
どれだけ私が癒そうと思っても、お客様が意識的にも無意識的にも「癒されたくない」と思っていたら癒しは起こらない。
その人が癒やされたい分しか癒しは起こらない。
癒しを起こせる力を持っているのは本人だけ。
だから、私が「どうすればもっと癒せるのか?」とか「満足してくれてるのかな?」とか《方法論》や《不安》に意識を向けながら施術をすると、エネルギーが漏れてしまうので、そんなことは考えるのをやめるように
と言われた。

私は、もっと「〇〇の人には▲▲したら良くなりますよ。」的な答えを求めて質問してしまったので、「あー、やっぱり小手先の方法論ではないんだな」と思い知らされた。

確かに、病気でも「治りたい」と言いながら、実は治りたくない人がいるというのは、今までの学びの中でも何度も教わってきた。

今度こそ、それをしっかり受け止めて、自分のできることを愛を持って行っていこうと思った。

みんな欲しいものは違うので、愛されたい方法も違う。
セラピストとしては、私のあげたいものをあげる(やりたいように施術する)のではなく、相手の希望をしっかり聴いた上で、自分のできる最高の施術を愛をもって与えるようにしなさいと言われた。

私は、人目を気にしてしまうのもやめたいと思って意図していたのですが、それに関しても、私が何をしようがしまいが、相手にとって必要な良い経験を受け取ってもらえると思って施術することで、自分に変な意識が向かなくなるなと再確認した。(今までも何度も色んな方にこのアドバイスはいただいていたのですが、頭ではわかっているけど心が追いついていなかった。)

後で、ファシリテーターがこの件に関して、「あなたが人を幸せにすることはできないし、人を幸せにすることはあなたの仕事ではないから、あなたが自分を愛で満たし、愛を周りに溢れさせていってね。」とアドバイスをくれた。

どこに行っても、愛の人の発言は、同じだ。
やはり、私が他人を変えたりコントロールすることはできず、ただ、自分がいかに愛であり幸せであるかで、周りの人が影響を受けるだけなんだな。と感じた。


また、マーケティングに関しても、どの広告やSNSにしても同じで、「〇〇をすれば集客できる」というものではなく、どんな意識で仕事をしているか広告を打っているかが問題。

自分で思う最高のサービスを提供して、紹介してもらったり、続けてきていただけるようにしていくのが本質だと言われた。


そして、全ては夢であり私の中の出来事だという教えもあった。

私は子供の頃から、毎晩のように悪夢を見るのですが、ジャングルに行った最初の日も寝る前にファシリテーターが、ジャングルで人がいなくなる怖い話があると言い出し、私は怖い話聞いたら一人で寝られないのでやめてもらって、代わりにジャングルからの帰り道に話してくれることになった。

でも、その夜、寝ているとその続きの夢を見てしまった。
「ジャングルに住む部族が旅行客を拉致して内臓を取り出し、食べたり売ったりして毎年何人か行方不明になっている。」と、夢の中でファシリテーターが話していた。

怖くて目が覚めたら、窓の外で足音がするので、ビビって寝れなくなった。
でも、よく聞いていたら、動物が歩き回っていただけだったので、また朝日とともに眠りについた。

この時の夢が儀式の中でまた再現された。
そして目が覚め、また眠りにつき、幸せな夢をまた見、そして、また同じ悪夢を見、そして幸せな夢を見…というのを何度か繰り返した。

そして、全ては夢の中の出来事で、悪夢すらも夢の一部で、全部私の中で起こっているから、恐れる必要はないと気付かされた。

その日以来、たまたまかもしれないけど、1ヶ月以上悪夢を見ていないから不思議。


失敗しても、そこから学ぶことがあって、全てが完璧に起こっていて、全てが必要な出来事で、全ての出来事に意味がある。私は導かれているし、守られているし、応援されているし、全ての出来事があって今がある、全てが愛に通じている」

「この世に絶対的な正解があるのではなく、その時の自分のフィーリングに従うことが正解だ。」とも教わった。

今までも直感に従う重要性はいろんなところで学んできていたけど、やはりここでも同じことを言われた。


私は、地元では「変わっている」と言われることがよくあって、母親や友達からそう言われるのを気にしていた。

自分では、普通だと思っていることを、変だと言われるのは、自分が何かおかしいのではないかという気にさせられた。

でも、普通になれと言われてきたが、みんな普通は違う。

「普通なものなんて何もない。全てはスペシャルで完璧だ。」とアヤワスカに言われ、救われた気分になった。


恐れを手放す時、エゴが抵抗して苦しんだ時があった、恥を捨てるレッスンだったのだが、恥ずかしいと思っているうちは、何度も同じレッスンが繰り返される。

「恥ずかしい。無理。できない。」と思っていると、どんどんやるしかない状況に追いやられていく。


《注意》ここからは、アヤワスカに興味ある人はやりたくなくなるかもだし、汚い話なので読みたい人だけ読んでください。


まず、男2人の目の前で、アゴが外れるくらいデカいあくびが止まらなくなった、手が動かなくて、ブッサイクな顔してあくびをしまくる自分。

「やだ、口おさえたい。恥ずかしい。」って思ったけど、これは、そんなに抵抗もなく、すぐ「ま、いっか。」となった。その瞬間、あくびは止まり、今度はゲップが止まらなくなった。

聞いたこともないデカさのゲップが何度も出る。
「最悪。ほんとこのレッスンやめてーーー!」と思いながらも、「そうだ、これも乗り越えないと止まらないやつ。」と思って、諦めた。

ゲップが収まると、今度は吐き気がきた。
「いやだ、人前で吐きたくない。せめてトイレに行かせて。」と思ったが、これも「アヤワスカの儀式では吐く人も多いっていうし、気にしなくていっか」と思って、吐いたら乗り越えた感が出た。

そして、今度はお腹にガスがどんどん溜まっていく。オナラが出そう。
「最悪。これだけは嫌。もう一回吐くからこのレッスンは飛ばして!」と15分くらい抵抗して我慢し続けた。


そう、私は12歳ぐらいから15年以上パニック障害で悩んでいたのですが、原因はこれ。

授業中にお腹が痛くなってトイレに行きたくなったのですが、思春期で恥ずかしくてトイレに行きたいと言えなかったのです。

なぜなら、その前に女の子が授業中にトイレに行って帰ってくるのが遅かったから、それ以来「うんこ」と呼ばれ出したから。(子供って本当に辛辣ですよね。笑)

「絶対そんなことになったら嫌だ」と、私は、授業が終わるまで1時間プルプルしながらトイレを我慢してしまったのです。


そこから、授業が始まる度に「また、お腹が痛くなったらどうしよう。」という不安が出てくるように。

そして、そんな不安を抱えると現実でもそれが起こってしまうという負のループから抜け出せず、オナラと下痢(汚くてすいません)との戦いが始まったのです。

毎日5〜6時間戦っているので、ストレスで体も震えや動悸がひどくなり、呼吸ができなくなってもう死んでしまうって感じた時だけ、トイレではなく「保健室行かせてください。」と授業を抜けた。

でも毎日抜けるわけにもいかず、リラックスしている家や友達の前では起こらないから、親にも信じてもらえず、学校を休ませてもらえない、死ぬこともできない、でストレスにまみれて、朝になると顔がパンパンに浮腫んでるし、力み過ぎて肩もこりまくり、頭痛もほぼ毎日するので吐き気との戦い、体も鉛のように重いという状況になっていった。

「母親に多分頭の中がおかしいから精神科に連れて行って」と頼んだことがある。
すると、「精神科は頭のおかしい人が行くところで、そんなところに行ったら近所の人におかしい人と思われるから、あなたは普通だからそんなところに行かなくていい。」と言われた。
*気を悪くするかもしれない表現があることを、お詫びします。

そして、「普通の子は、学校に行くんだから、行かないと変に思われるから行きなさい。あなたは元気なんだから。」といつも言われ、子供ながらに他に選択肢がないものだと思って無理して通学し続けた。

トイレに行けない状況は、教室だけでなく、電車やバス、タクシーなど密室だと何でも怖いし、静かにしないといけない時も、「オナラが出たらどうしよう、うんちが漏れたらどうしよう」という不安でいつもガクガクしてた。

今なら笑い話だし、普通に「トイレ行きたい」って言えるけど、思春期の当時は自意識過剰すぎて行ったら終わりだと思い込んでて、本当に辛かった。

そうこうしているうちに、気を許せる人以外みんな怖くなってしまった。

「みんな私のこと笑ってるんじゃ?私のこと変だと思ってるんじゃ?」
「あっ!今目があった、きっと私の悪口言ってるんだ。」
と言った被害者意識に取り憑かれ、人と喋るのも怖くなってしまった。

そう、そんな経緯があるので、「これを乗り越えれば私の恥への恐れがかなりなくなる」とアヤワスカは言ってくるのです。

「大丈夫。彼らはチームだから。」と。

「いや、チームでも彼らの前でわざわざオナラはしなくていいでしょ。」と抵抗し続けたが、どんどんお腹が膨れていく。

ガスが溜まりすぎてもう限界…

「よし、せめてトイレに行こう!」と決意し、トイレへ。
と言っても、シャーマンの座っているすぐ隣に、上下が開いたペラペラのドアがあってそのドアのすぐ後ろに便器がある。

トイレに行ったものはいいが、ここでオナラが出ても絶対に聞こえてしまう。
そこでも15分ほど戦った。

「シャーマンたちは、私の中の不要なものを取り除く治療をしてくれるチームで、私のことを応援してくれている、見守ってくれている。シャーマンがマラカス持って歌ってるのも、私がこの恐れを乗り越えるのを助けてくれている。なーんだ。みんな応援してくれてるんだ。よし、じゃぁ、やってやろう!」

「やーでも恥ずかしい、やっぱりこのレッスンはパスしてーーー!」

すると、今度はお腹まで痛くなって、下痢まで出そうに。
「もう、やるまでレッスンは終わらないのね。」と降伏したい気持ちと、恥ずかしさと、腹痛に板挟まれて最悪だった。


頭がクラクラする。
私はどこにいるの?どれが本当の世界?
本当にトイレにいるの?ここでトイレして大丈夫?
もしかして実は寝ているだけでお漏らししちゃったりしない?
と色んな不安が頭をもたげた。

そうこうしているうちに、もう限界、やるしかないって状況に。
そして、ブリブリっと出てしまった。(汚くてごめんなさい。)
ビックリするぐらい大きなオナラと共に…

「ギャーーーッ!!恥ずかしい。どうしよう。もうこのドアから出たくない。」と思っていると、また同じレッスンが起こる…
勘弁してください、もう大丈夫です。このレッスン大丈夫です。って逃げ回った。

なので、後日の儀式でも、同じトイレのレッスンが繰り返されたのである…

そして、「もういいや。儀式の中でいろんな恥ずかしい経験してる人もいっぱいいるんだから」って思って開き直ったら、レッスンが終わった。

そして、トイレから出ると、シャーマンが「最初かなりエゴが抵抗してたけど、サレンダーできてリリースできたね。」と優しい言葉をかけてくれた。

「あー、やっぱり私一人が恥ずかしいって抵抗してただけで、誰も私のことをジャッジしてなんかいないし、みんな私がリリースすることを応援してくれてたんだな。」と思った。

恥ずかしくて、つい言い訳しそうになったけど、それすら必要ないんだな。と飲み込んだ。


音を気にしているのは自分だけ。

みんなは、自分の好きなことしてて(あるいは自分の問題について考えるのが忙しくて)、私のことジャッジしようと待ち構えているほど暇人はいない。

もし、そんな人がいたら、混乱していて愛の世界から弾き出されたトラブルを抱えている人だけ。

何かを乗り越えた経験のある人は、人が頑張っている時、困難に直面している時も、「おっ!一段乗り越えようと頑張ってるんだね。私もそうだったし、大丈夫。ただその困難すら楽しんで!」と応援してくれはしても、、バカにするような事はしない。

といった気づきがブワッと起こった。


自分が意図したからここに来て、これを体験している。
ハードな体験で、「こんなはずじゃなかった」と途中逃げ回ったけど、それすら必要な経験だった。


「15年もパニックを抱えながら、学校を休みたい、トイレに行きたいという気持ちを無視して、親に言われるまま学校に通い続けたから長引いたけど、本当は自分の声にちゃんとその都度従っていれば、こんなに長引かせる必要はなかったんだよ」と教わった。

「でも、当時の私にはそれが必要だったから起こったし、全ては意味がある経験なんだよ。」と言われた。

もっと楽な道もあるし、自分でその道を選べるんだよ。と教わった。


そして、急に気づきが起こった。

当時、あんなに苦しい思いをしながら頑張ってたのに、
そして、母親が私より近所の人の目を気にして、普通になれと押し付けてくるのがすごく嫌だったのに、
私は母親と完全に同じことをしていて、苦しんでいる自分に、「今トイレに行ったら笑われるぞ。我慢しろ!」と無理に押さえ込ませて苦しんでいたんだ。

なんて酷いことを自分にしていたんだろう。
自分で自分を苦しめていたんだ。

ごめんね。頑張ってたのにね。よく頑張って耐えてくれたね。
気づいてあげれなくてごめんね。

と泣き崩れた。

そして、これからは、二人で人生を一緒に乗り越えようね。
と、最強の相方を見つけた気分になった。

そして、もっともっとあなた(体や心)の声をしっかり聴いていくからね。と誓った。

自愛が上手くいった時は、こんな感じで癒しが起こるのを今までも体験してきたけど、今回も今までも同じことに気づいてはいたけど、もっと深い部分で癒されたような温かい感覚があった。


次の日、ファシリテーターに、「自分の好きな部分だけを愛するんじゃなくって、恥ずかしい部分、かっこ悪い部分、嫌な部分も含めて、全ての自分を受け入れて愛してあげることが大切だけど、昨日で恥ずかしい部分もかなり許してあげることができたね。」と言われた。


そして、私がいかにトイレで抵抗していたかって話になった。

「なぜなら、日本ではトイレの音を聞かれないように、トイレに座ると水の音が流れたり、音楽が流れたりするんだよ。もし、それがなかったとしても、水を流しながらやったりするんだよ。だから、こんな至近距離で男性に音を聞かれるなんて恥ずかし過ぎて、なかなかサレンダーできなかったんだよ。」って話をした。

そしたら、シャーマンに、「バカな事言ってんじゃないよ!俺なんて常にオナラしてるよ。全員に起こる自然現象なんだから、恥ずかしいわけないじゃん。」って突っ込まれた。

日本は本当に恵まれているので、当たり前に水を流しながらトイレに入ったりしていたけど、こっちでは、水はとっても貴重。

水を流しながらトイレに行けるなんて、ホントにスゴいことだったんだなと変な気づきを得たと共に、水を大切にしようと思った。


*アヤワスカを体験してみたいけど、英語もスペイン語も喋れなくて行くのを躊躇っている方がいらっしゃれば、オフシーズンにリトリートを企画するので、お気軽にお問い合わせください。

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